12:1 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。

 

11章までを理論編とするなら、12章からは実践編ということができます。とはいえ、信仰生活は常に理論と生活は結びついたものです。この1節では、「礼拝」の本質について記されています。

 

私たちは礼拝と言えば日曜日に教会に集まって行うものだという認識があると思います。それはその通りなのですが、礼拝はそれで終わるものではなく、礼拝は私たちの生活全般に関わるもので、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げ」るところに礼拝の本質があるのだと言われているのです。

 

自分自身を「神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げる」ためには、神が喜ばれることは何かということを聖書を通して理解するとともに、自分自身の思いを超えて神の御心を求めて生きるように、私たちの人生観を変えていく必要があります。

 

祈り

 

天の父なる神様、自分自身を「神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げる」ことがすなわち礼拝であることを教えてくださり、ありがとうございます。まことの礼拝に生きるために、自分自身を神にささげることが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。