14:26 主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」

14:27 モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。

14:28 水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。

14:29 イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。

14:30 主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。

14:31 イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。

 

モーセが海に向かって手を差し伸べると、「水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。」と言われています。紅海を二つに分けたと言われるヌウェバビーチから対岸のミデヤンの地に向かう海底の深さは、なだらかな傾斜になっていますが、深いところでは水深500800メートルありますから、水が元に戻った時、海に入ったエジプトの軍隊は全滅したことは容易に推測できます。

 

神はエジプト軍の追撃を阻止し、車輪を外したとも言われていますが、今日でもヌウェバビーチからミデアンに至るまでの海底を潜ってみると、サンゴに覆われたエジプト軍の戦車の車輪と思われるものが多数沈んでいることが分かります。

 

「イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。」と言われています。エジプトにとっては、働ける男だけで60万人もいた奴隷をそのまま自由にするということは見過ごしにできないことと思われたのでしょう。しかし、主が共におられるということをこの出来事を通してイスラエルの人々は再確認することになりました。

 

祈り

 

天の父なる神様、エジプトの軍隊が滅ぼされてしまうことをかわいそうにと思う思いもありますが、そのことがなければイスラエルが解放されることはありませんでした。聖書には「裁きと解放」がセットで記されている出来事を見ることが出来ます。人々を苦しめている悪の勢力が一掃されなければ真の解放はありません。しかし、実をいうとイスラエルの民たちも罪がありますので、すべての罪と悪を滅ぼすならば、サタンや悪霊のみならずすべての人類も滅ぼされなければなりません。ところが聖書には、罪を犯した人々が神の恵みによって救われるという歴史が記されています。あなたのひとり子を与えてまでも私たちを愛してくださったことを感謝いたします。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。