3:2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。
3:3 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。
3:4 ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った時、生まれがらに足の不自由な男が運ばれてきました。「神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。」と言われています。
この人は、自分で働くことはできず、人々からの施しによって命をつないできたのです。4章22節には、「このしるしによっていやしていただいた人は、40歳を過ぎていた。」とありますから、今で言えば、働き盛りの年齢でした。この「美しい門」は、エルサレム神殿の東側の異邦人の庭から婦人の庭へと通じるニカノルの門のことであろうと考えられています。
この門は、ひときわ大きく、人通りも多かったということですから、この人は、施しを受けるのに最も良い時と良い場所を選んで、置いてもらっていたのです。
彼は、ペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞いました。
この時、この男がどのような言葉で施しを乞うたのかは書かれていませんが、おそらく「わたしを憐れんでください」という言葉ではなかったかと思われます。エリコの盲人で物乞いをしていたバルティマイは、イエス様に「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けたのでした。「わたしを憐れんでください」、この言葉を聞いて、ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言ったのです。
祈り
天の父なる神様、ペトロとヨハネは、午後3時の祈りの時間に神殿に行くと、美しの門で施しを乞うている足の不自由な人に出会いました。この人は歩くことが出来ず、知り合いや家族の人にここまで運んできてもらって施しを受けてこれまで生きてきたのでした。その人がペトロたちに出会って人生の転換点を迎えます。あなたの御業が多くの人々に知られ、救われる人が起こされますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。