8:2 しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。
8:3 一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。

3節に、「一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。」とありますが、その当時の様子を、栄光の主に出会い、使徒となった後のパウロが、アグリッパ王の前で、次のように語っております。

26章の9節から11節です。「実は私自身も、あのナザレの人イエスの名に大いに反対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行に移し、この私が祭司長たちから権限を受けて多くの聖なる者たちを牢に入れ、彼らが死刑になるときは、賛成の意志表示をしたのです。また、至るところの会堂で、しばしば彼らを罰してイエスを冒涜するように強制し、彼らに対して激しく怒り狂い、外国の町にまでも迫害の手を伸ばしたのです。」

ここには、サウロが祭司長たちから権限を受けて、教会を迫害したこと。また、牢に入れられた者の中には、死刑に処せられた者たちがいたこと。さらには、パウロが、信者たちにイエスを冒涜するように強制したことが記されています。8章1節には、「大迫害が起こった」と言われていますが、この迫害によって、ステファノに続く、殉教者たちが起こされたのです。その迫害の苦難を通して、神様はイエス・キリストの福音を、エルサレムから、ユダヤ、サマリア地方へと広げられていくのです。

エルサレムの教会に対して大迫害が起こった中で、使徒たちはエルサレムに踏みとどまっていました。なぜ、使徒たちは、身の危険も顧みず、エルサレムに留まったのでしょうか。それは、エルサレムが使徒たちにとっても大切な場所だったからです。

エルサレムはイエス・キリストが十字架に死に、復活された場所でした。そして、使徒たちに与えられた使命は、この主イエスの十字架と復活を証しすることです。また、エルサレムに留まることにより、自分たちこそ、旧約聖書を実現する真のイスラエルであることを証しする必要があったのです。

もっと単純に言えば、使徒たちが身の危険を顧みず、エルサレムに踏みとどまったのは、教会が根無し草にならないためであったと思われます。迫害がおさまったとき、いつでも信者たちがエルサレムに戻って来ることが出来るように、彼らはエルサレムに留まったのです。

祈り

天の父なる神様、ステファノは殉教の死を遂げることになりましたが、このことによってキリストの教会は途絶えるのではなく、むしろローマ帝国の各地に広がっていくことになりました。あなたの御業によって、世界中に今も福音が宣べ伝えられていることを感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。