だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。エフェソ2:29~30

これは前の節で言われていたようにエパフロデトのことです。かつての預言者たちも、イエス・キリストも、そして主イエスの弟子たちも、いずれもが、神の言葉を預かってそれを人々に語るとき、迫害を受けるということがありました。ユダヤ人たちも、またローマ帝国の権力者たちも激しい迫害を行いましたから、初期のキリスト教会においては、絶えず迫害の危機と隣り合わせであったということが出来ます。

エパフロデトは、フィリピの教会から派遣されて、パウロのもとに見舞い品を届け、パウロが獄中にいる間、彼に仕えていましたが、やがて重病にかかったのです。フィリピの教会の人たちはこれを聞いて非常に心配していましたが、やがて回復したようです。

「いのちをかけて」という言葉は、新約聖書ではここだけに出てきます。ここではエパフロデトが、自分の健康のことをかまわずに、パウロに仕えていることを思ってパウロはこのことを記しているようです。同じようにローマ16章4節には、アクラとプリスキラが迫害を覚悟でパウロに仕えてきたことが記されています。

祈り

天の父なる神様、尊い御名をあがめます。正しいことを語り、行うならば、人々は受け入れてくれるというわけではありません。むしろ真実を告げるものは迫害を受けるということをこの歴史は物語っています。困難を経験するときもありますが、それを乗り越える力をもお与えください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。