22:23 その同じ日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄って来て尋ねた。
「復活はないと言っているサドカイ派の人々」とありますが、ファリサイ派の人々が復活を信じていたのに対して、サドカイ派の人々は復活を信じていませんでした。それは、彼らが神の御言葉と認めるいわゆるモーセ五書に復活のことが記されていなかったからです。
旧約聖書の最初の5つの書物、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記は、伝統的にモーセが著者であると考えられていたことから、モーセ五書と呼ばれています。サドカイ派の人々は、モーセ五書だけを権威ある書物、聖書として受け入れていたのです。これはファリサイ派と大きく異なる点でした。
ファリサイ派の人々は、詩編や預言者も権威ある書物、聖書として受け入れていました。そればかりか、ファリサイ派の人々は先祖の言い伝えをも聖書と同じように重んじており、復活をも信じていたのです。
使徒言行録23章8節には、「サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである」と言われています。サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派の人々はこのいずれをも認めていました。
サドカイ派の人々は、イエス様がファリサイ派と同じように、死者の復活を信じる者と見なしていたようです。それで、彼らはイエス様に復活について質問したのです。彼らは教えをこうためではなく、イエス様を陥れるために、質問をしているのです。
祈り
天の父なる神様、サドカイ派の方々は、聖書の一部のみを重んじており復活を否定していましたが、私たちは旧約・新約全体の聖書を重んじて、あなたの恵みの内を歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。