13:36 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。

 13:37 イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、

 13:38 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。

 13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。

 13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。

 

聖書を読んだことがない人の中には、聖書には、きれいごとが書いてあると思っている人も多いようです。聖なる書と書いて聖書ですから、そこにはきよい話、聖なるお話が書かれていると思っている人は少なくないようです。

けれども、聖書を開いて読んでみると、きよい話どころか、むしろ、どこを開いても、どろどろとした人間の罪、人間の汚さ、悲しみ、裏切り、争い、ねたみ、盗み、殺人、などなど、この世の生々しい姿が描かれていることに気付きます。

人類の始祖であるアダムが神に背いて罪を犯して以来、この世界は罪の世界となってしまいました。そしてこのたとえで教えられているように、今は毒麦もそのままにしておかれますが、終わりの時には神様によって悪が裁かれる時がやってきます。

それは、まさに、わたしたちの生きるこの世界について、ありのままが記されているためです。きれいごとは逆に一つもない。それが、聖書の世界です。人間は表面を繕ってよく見せようとしますが、内面は私たち皆が汚れに染まったものではないでしょうか。神様はそのような罪ある私たちを招いて神の国に導くためにイエス・キリストをお遣わしになったのです。

詩編8編には、主よ、私がいったい何者なので、このように心にかけてくださるのですかと、神さまに問いかける詩があります。一体、私は何者ですか。なぜ神様は、こんな私に心を留めてくださるのですか、と。神さまの答えは、ひとつ。私はあなたを愛しているから、です。

祈り

天の父なる神様、あなたの憐みをもって今日も私たちを生かしお守りくださることを感謝いたします。あなたの愛と恵みの内に生きることが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。