さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。フィリピ4:10~11

この世界には富める人がおり貧しい人もいます。そして富んでいるといわれる人でもさらに実ンよりも飛んでいる人がいることでしょうし、貧しいと思っている人もさらに回りや世界を見渡せば、自分よりも貧しい人を見つけることは難しくないでしょう。今自分が置かれた暮らしに満足することが出来ない人は、不平や不満を心に抱きながら日々を送ることになります。

パウロはここで、「自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた」と言っています。これはいつの間にか理解できた、年と共にわかってきたというよりも、習い覚えたといっているように、身をもって教えられたことでした。

自分の置かれた境遇に満足できる人は幸せな人です。今の自分や今の自分の状況に満足できない人は、どこか別のところに引っ越せばと考えるかもしれませんが、今の自分のありからに満足・感謝できない人は、他のところに行っても満足できないことが多いようです。それは富んでいるとか貧しいといった自分の状況を超えたものです。

祈り

天の父なる神様、置かれたところで咲きなさいという書物を渡辺和子さんが書きましたが、今自分が置かれたところで、感謝をもって生きることが出来ますようにお守りお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。