4:4 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。

 4:5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。

 4:6 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。

 4:7 「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、/幸いである。

 4:8 主から罪があると見なされない人は、/幸いである。」

 

神様が与えてくださる恵みは、「働く者に対する報酬のようなものではなく、働きがなくても不信心な者を義とする」ものだと言われています。これは私たちの常識を超えたものだと言えるでしょう。

 

何らかの善い働きをしたからそれに対する報酬が与えられる。大切な贈り物をいただいたから見返りとしてこちらもプレゼントするというようなあり方が、私たちの社会においては一般的だからです。

 

それをいただくのに値しない者であるにも関わらず与えられるものが神の恵みと言われるものです。この恵みによって救われた人は「不法が赦され、罪を覆い隠された人々、主から罪があると見なされない人は、/幸いである。」と言われています。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちはあなたの恵みによらなければ、決して罪の問題を解決することが出来ず、パウロと同じように「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」(ローマ724)と告白せざるを得ない者でした。ところが、そんな私たちのために、イエス・キリストによる救いの恵みをもたらしてくださった事を心より感謝いたします。

イエス・キリストの御名によって祈ります。