14:20 食べ物のために神の働きを無にしてはなりません。すべては清いのですが、食べて人を罪に誘う者には悪い物となります。

 14:21 肉も食べなければぶどう酒も飲まず、そのほか兄弟を罪に誘うようなことをしないのが望ましい。

 14:22 あなたは自分が抱いている確信を、神の御前で心の内に持っていなさい。自分の決心にやましさを感じない人は幸いです。

 14:23 疑いながら食べる人は、確信に基づいて行動していないので、罪に定められます。確信に基づいていないことは、すべて罪なのです。

 

旧約の時代には、清い動物と穢れた動物が湧けられており、穢れた動物は食べてはならないと定められていました。レビ記11章には「地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするものである。従って反すうするだけか、あるいは、ひづめが分かれただけの生き物は食べてはならない。・・・水中の魚類のうち、ひれ、うろこのあるものは、海のものでも、川のものでもすべて食べてよい。しかしひれやうろこのないものは、海のものでも、川のものでも、水に群がるものでも、水の中の生き物はすべて汚らわしいものである。これらは汚らわしいものであり、その肉を食べてはならない。」(レビ記11章2~11節)

 

そのため、ユダヤ人たちは豚やタコなどのような穢れたとされる動物を食べることはありませんでした。しかし、新約の時代となり、イエス・キリストが罪の贖いを実現した後、神様はペトロに幻によってそのような区別をすることなく食べるように教え、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」(使徒10章15節)と言われました。

 

これは、ユダヤ人であることや異邦人であることの区別なしに、すべての人が救われることを神は願っておられることを教えてくださったことでもありました。

 

祈り

 

天の父なる神様、現代は食べ物にも農薬や抗生物質などの薬物が含まれていたり、遺伝子組み換え食品やゲノム編集された食べ物が出回ることもあって、食べ物にも気を遣う必要を感じさせられますが、あなたによって創造された自然なものはすべてあなたによって清められたものです。この世に生きる人、どの人もあなたにとって大切な存在であることを覚えて、隣人を愛する生き方をすることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。