もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。ローマ8:17
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。(新改訳)
神の子とされたものは相続人であるということが記されています。
同じことがガラテヤ人への手紙では、次のように記されています。「つまり、こういうことです。相続人は、未成年である間は、全財産の所有者であっても僕と何ら変わるところがなく、父親が定めた期日までは後見人や管理人の監督の下にいます。同様にわたしたちも、未成年であったときは、世を支配する諸霊に奴隷として仕えていました。しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。」(ガラテヤ4:1~5)
私たちが神の子とされ、相続人とされるためには、主イエスの大きな代価が払われたことが記されています。「贖い」とは、他の人の犠牲のゆえに、私の罪が赦されるということをあらわしています。旧約の時代には、犠牲の子羊などの傷のない動物が贖いのために用いられましたが、それはやがて来るイエス・キリストの完全な贖いをあらわしていました。
今日の箇所には、私たちは、神の子供であり相続人であると言われています。この世においては実の子供は親の財産を親がなくなれば相続することになりますが、私たちの父である神様は死ぬことはありませんが、神の家に私たちを子供として迎えてくださるのです。
聖書において、「天国」「天の御国」といわれるところが、やがて私たちがこの世の生涯を終えた後で迎えられる神の家といえます。神の家に迎えられるとき私たちは、そこにおいては不足するものは何もないことを知るでしょう。不安も恐れも、嘆きも憎しみもない世界に迎え入れられるのです。
祈り
天の父なる神様、あなたのお導きのうちに主イエスへの信仰を与えられ、御礼によって歩むことが出来ますことを心より感謝いたします。
神の子とされる恵みは、他の何者にも勝る恵みであり喜びです。死ぬ区の恵みの中に入れられていることを覚えて、主にあって日々を歩むことが出来ますようにお守りお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。