3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法の下にいる人々に向けられています。それは、すべての人の口がふさがれて、全世界が神の裁きに服するようになるためなのです。

 3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。

 

神様は、モーセ等を通してイスラエルの人たちに、さらには全世界の人々に向けて「律法」をお与えになりました。そしてこの律法に基づいて神の裁きが降るのです。「私は律法など知りません」という人に対しても、「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。」(ローマ1章28~32節)と言われていました。

 

「彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認」していると言われています。してはいけないことだと知っていながら行っていると言われているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、「してはいけないことだと知っていながら行っている」ということはだれもが感じることではないかと思います。すべてをご存じである神の前では、弁解の余地はありません。あなたの前に正直に生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。