11:21 なぜなら、食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。

 

 11:22 あなたがたには、飲んだり食べたりする家がないのですか。それとも、神の教会を見くびり、貧しい人々に恥をかかせようというのですか。わたしはあなたがたに何と言ったらよいのだろう。ほめることにしようか。この点については、ほめるわけにはいきません。

 

この時代には自由人と奴隷人がおり、貧富の格差も広がっていました。そうした中で、教会では一緒に食事をするようになっていましたが、「食事のとき各自が勝手に自分の分を食べてしまい、空腹の者がいるかと思えば、酔っている者もいるという始末だからです。」と言われています。

 

当時の教会は、比較的大きな信徒の家に集まって礼拝をしたり、食事をしたりしていました。この当時のコリントの町では、自由人が約20%、奴隷が約80%でした。自由人は裕福で時間も自由な時間が多くありましたが、奴隷人は貧しいうえに忙しいために、奴隷の信者が教会に行った時には、もう食べ物が無くなってしまっているという事が続いて、そのために不平不満や不和が生まれていたという事もあったのです。

 

自由人も奴隷人もともに食事をするという事は素晴らしいことですが、自由人と奴隷人との間に食べ物の恨みが生まれてしまうのはよくないことでした。

 

祈り

 

天の父なる神様、この世の中には富めるものや貧しいものがいますが、あなたの御心は、そうしたことで差別したり分け隔てをするのではなく、互いに愛し合う事ですから、私たちもそのように隣人を愛することが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。