妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。私たちはキリストのからだの部分だからです。
「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。エペソ人への手紙5:22-33
妻たちよ、夫たちよ、と言われていますが、これはキリストと教会を指して言っているのだと言われています。
キリストは私たちを愛してくださり、私たちに信仰をお与えになり、共にキリストを仰ぐ群れである教会に召し集めてくださいました。
イエス・キリストの体である教会に私たちを集めてくださり、出会いを与えてくださったのも主イエスですが、私たちを夫として妻として互いを結び合わせてくださったのもキリストです。
このお方が、妻は夫に従いなさい。夫は妻を愛しなさいと教えてくださっているのです。とはいえ、夫はイエス・キリストではありませんから、いろいろと過ちを犯すこともあるでしょうし、妻を悲しませることもあるのではないでしょうか。それは妻も同じことですが、そのような不完全なものであることを私たちはよくわきまえておくことも必要でしょう。
だからこそ私たちは、主を待ち望むのです。
「主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい。」(詩編127:1)と言われているとおりです。
祈り
天の父なる神様、あなたがお遣わしになったイエス・キリストによって、この罪を赦されたばかりではなく、同じ主を仰ぐ兄弟姉妹をお与えくださり、共に歩む配偶者をも与えてくださることを心より感謝いたします。どうか、主にある家庭を築いていくことができますようにお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。