何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。エフェソ5:10~11

「何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。」クリスチャンライフはこれに尽きるといってもよいでしょう。

しかし、これはなかなか難しいことです。私たちは、生まれながらに、主が何を喜ばれるだろうかということは考えず、自分の喜び、自分のやりたいことを先ず考えていこうとする傾向にあるからです。

主が何を喜ばれるかということを優先にして物事を進めていくためには、自分自身が変えられていく必要があるのです。「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:2)と言われているとおりです。

主が喜ばれることはなんであるかを考えながら、そのことを心に留めて、それを私の行動原理として生きていくということです。愛するとは自発的な行為です。神様は私たちの生活の一つ一つに口出しして、あれをせよ、これをせよと言われるわけではありません。私たちが自分で考えて、主の栄光のために生きるようにと願っておられるのです。

祈り

天の父なる神様、何よりも私たちがあなたとつながって生きることができますように。その中でいよいよキリストに向かって心の一新によって自分が変えられ、あなたの御心を果たしていくことが出来るものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。