11:16 そのとき、わたしは、『ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは聖霊によって洗礼を受ける』と言っておられた主の言葉を思い出しました。

 11:17 こうして、主イエス・キリストを信じるようになったわたしたちに与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになったのなら、わたしのような者が、神がそうなさるのをどうして妨げることができたでしょうか。」

 11:18 この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。

 

使徒言行録1章の初めのところには、天に挙げられる前に、イエス・キリストが弟子たちに次のように言われたことが記されています。

 

そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」」(使徒言行録1:4~5)

 

五旬節(ペンテコステ)の日、「あなた方は間もなく聖霊による洗礼を授けられる」と言われたとおりに、弟子たちの上に聖霊が降りましたが、ペトロはそれと同じことが異邦人にも起こったことを経験し、神がなされたことを私たちは妨げることはできないと説明しました。

 

「神の選びの民はユダヤ人だけであり、アブラハムの子孫だけが救われる」と考えていたユダヤ人たちも、ペトロの言葉を聞いて、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美するようになりました。

 

祈り

 

天の父なる神様、イエス・キリストによってもたらされた救いの恵みがどれほど大きな価値あるものか、それを知る人は幸いです。「主の恵みはとこしえまで」続くものです。聖霊が降ることは、その人の永遠の命の救いが確かなことを教えるものです。主の御名はほむべきかな。

イエス・キリストの御名によって祈ります。