罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。

こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。エフェソ2:5~7

私たちのこの世の人生は、様々な試練や苦しみを経験するものでもありますが、イエス・キリストへの信仰に生きるようになった者は、この地上にいながらも、神によって与えられる身分としてはすでに「共に復活させ、共に天の王座に着かせて」いただいているのです。

信仰によって生きるという人生は、まだ見ていないし実現されてもいないけれども、神の約束を信じ、やがて与えられる希望を抱いて生きることです。ヘブライ人への手紙11章には、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」(ヘブライ11:1~2)といわれています。

すでにあらゆるよきものが整えられて、だれの目にも明らかに分かるような形で神の恵みが実現されたことを見てから信じるというのは、信仰によって生きるとは言えないのです。神が約束された見えない事実を確認し、信頼して今を生きることが求められているのです。

この世を離れて、やがて来るべき世に行った時には、私たちは、神の限りなく豊かな恵みのうちに生きるようになるのです。

祈り

天の父なる神様、貴い御名を賛美いたします。あなたの約束を信じて、信仰によって生きるものとならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。