わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。ローマ11:3~5

私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(新改訳)

 

私たちの体を構成している器官はどれも素晴らしいものです。お互いの器官が他のために働き、一つの体を形作っています。そしてどの器官も不要なものはありません。神はこのような体を創造してくださり、育んでいてくださいますが、ここでは、教会に連なる私たち一人ひとりは互いに器官なのだと言われています。

 

それぞれの器官は独自の機能を持ち、他の器官が肩代わりすることはできません。確かにある部分は他の部分に比べて重要な働きをすると言えますが、各部分が特別な働きを持っていることに変わりはありません。私たちは、からだ全体という観点から、その一つの器官として置かれた場所と働きを理解しつつ、他のために働いていく必要があります。そして、その働きができることを神に感謝すべきです。

教会全体のことを考えるとき、地域教会の一つ一つがそのからだの器官であると考えることもできますが、一つの地域教会の構成員ひとりひとりもそれぞれに器官としての働きをしているということができます。神はそのようにそれぞれ違いを持ちながら、互いに仕え合う者としてくださったのです。一人一人の働きは全体の益となるためのものです。

神によって召し集められた教会は、キリストの体ですから、各自はそれぞれに異なる働きをしていても、頭である主イエスに聞き従う者でなければなりません。このために必要なことは、それぞれが思い上がることなくへりくだった心で、他のためにお仕えすることです。

 

祈り

 

天の父なる神様、教会に召し集められている私たちは、互いに器官であるということを知らされました。神によって造られたこの体、それぞれの器官は実に素晴らしいものですが、この器官のように私たち一人ひとりが互いを愛し、互いに仕えつつ、神の栄光を表す働きをしていくことができますように。聖霊によって私たちをお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。