37:12 兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていたとき、
37:13 イスラエルはヨセフに言った。「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。」「はい、分かりました」とヨセフが答えると、
37:14 更にこう言った。「では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。」父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。ヨセフがシケムに着き、
37:15 野原をさまよっていると、一人の人に出会った。その人はヨセフに尋ねた。「何を探しているのかね。」
37:16 「兄たちを探しているのです。どこで羊の群れを飼っているか教えてください。」ヨセフがこう言うと、
37:17 その人は答えた。「もうここをたってしまった。ドタンへ行こう、と言っていたのを聞いたが。」ヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで一行を見つけた。
ある日、ヤコブは息子のヨセフに、羊の世話をしている兄のところに行って様子を見てきてほしいとお願いします。このことからうかがい知られることは、ヨセフは家の仕事を手伝い、兄たちは、家から離れたところで羊たちの世話をしていたようです。
日本にも、「可愛い子には旅をさせよ」という言葉があります。我が子が可愛いなら、親の元に置いて甘やかすことをせず、世の中の辛さや苦しみを経験させたほうがよいということを教えています。自分の家を出て、なじみのない土地で暮らすことは苦労や困難も多いけれども、子供は親元を離れ辛く苦しい体験をしてこそ成長するものだということです。
しかし、ヨセフの場合は、親元において甘やかされていたようです。これでは自立心や社会性も育たないような育て方をされていたのです。しかし、ヤコブはヨセフに対して神様のことや信仰をもって生きることをよく伝えていたものと思われます。
祈り
天の父なる神様、創世記を通して、あなたは神がともにおられる人生とはどういう者であるのかを教えてくださいます。ヨセフは夢見る者といわれましたが、これは神がともにおられることを信じて夢と希望を持って生きる者ということです。人生には順境の時ばかりでなく逆境の時もありますが、どのような社会状況、自分の境遇に置かれたとしてもヨセフのような信仰によって生きることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。