3:4 ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。

 3:5 アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。

 3:6 わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

 3:7 ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

 

パウロはコリントの信徒たちの間に起こっているねたみや争いの具体例として、クロエの家の人たちから知らされた争いについて言及しています。第1章11節、12節には、「わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました。あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。」このように記されていました。

コリントの信徒たちは御言葉の教師であるパウロとアポロをそれぞれの指導者だといって、互いに争っていました。御言葉の教師と自分たちを結びつけて党派を結成し、互いにねたみ、争っていたのです。なぜ、そのようなことが起こったのかといえば、その一つの原因は彼らが御言葉の教師について正しく理解していなかったからです。

 

アポロもパウロも、主にお仕えする者(ディアコノス)にすぎないのです。そのことをパウロはこのようなたとえによって語っています。「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」。パウロもアポロも神に用いられている働き人に過ぎないのです。人々が仰ぐべきお方は主なる神に他なりません。

 

祈り

 

天の父なる神様、私はパウロにつく、私はアポロにつくなどといって教会の中での指導者たちをめぐって党派心に走り、教会の中に分裂を生み出してしまっていたコリントの教会に対して、パウロはその誤りを指摘しました。私たちも成長させてくださった神を仰ぎつつ、主の恵みのうちに歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。