被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。ローマ8:20~22

それは、被造物が虚無に服したのが自分の意志ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。 私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。(新改訳)

 

創世記1章28節には、「神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」」(創世記1:28)と言われているように神は、人間にこの世界の被造物を支配し管理するようにお命じになりました。しかし管理を委ねられた人間の罪のために、神によって造られた被造物のすべてが虚無に服していること、うめき苦しんで回復される時を待ち望んでいることが記されています。

神は天と地を創造なさっとき最後に人間を創造し、人間にこの世界を支配し管理するようにとお命じになりましたが、これは、人間が自分の好きなように支配してよいということではなく、神の御心に従ってそれを行なうことが求められていましたが、罪を犯した後、人間は自らの欲望に従ってこの世界を支配しようとしているために、サタンにその管理権を奪われて今日に至っております。

エフェソ2章のはじめには次のように記されています。「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」(エフェソ2:1~3)

 

今日の聖句では、人間が犯した罪によってこの世界全体に罪の影響が及び、この世界の自然界も動植物たちもうめいていると言われています。自然破壊は時代を経るごとに進んできていますし、すでに多くの動植物が絶滅の危機に直面しています。人間のみならず、被造物すべてが救われることを求めていることが分かります。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたが創造されたこの世界を管理するという大いなる特権を与えられた人間は、残念ながらその罪のためにあなたの御心をわきまえることなく、自分勝手にこの世界を支配しようとしています。そのために被造物もうめき、救われることを待ち望んでいることを教えられました。終わりの火にあなたによってもたらされる救いの時を待ち望みながら、今このとき、あなたの御心を求めて日々の歩みをしていくことができますようにお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。