15:35 しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。

 15:36 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。

 15:37 あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。

 15:38 神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。

 

「死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、」と言って復活を否定する人たちがおりました。そのような人たちに対して、パウロは、種を蒔く時のことを例に挙げて説明しています。

 

種を蒔く人は、その種が必ず芽を出すという事を確信して種を蒔くのです。種を蒔くのは人ですが、それを育ててくださるのは神様です。神様がこの種を実らせてくださるという事、生命を生み出していてくださることを信じるので、人は将来の収穫を期待して種を蒔くことが出来るのです。

 

生命というものはすべて、神によって与えられるものです。それは偶然に生まれて来るものではありません。そして生まれた種がやがて芽を出し、育っていくことの中にも、神様の恵み深いお働きがあるのです。

 

マタイによる福音書6章には、次のように言われています。「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。」(マタイ6:30)

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたのお恵みによって、今日も支えられ育まれていることを感謝いたします。あなたの御手の中で生かされていることを感謝をもって生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。