14:10 それなのに、なぜあなたは、自分の兄弟を裁くのですか。また、なぜ兄弟を侮るのですか。わたしたちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。

 14:11 こう書いてあります。「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、/すべての舌が神をほめたたえる』と。」

 14:12 それで、わたしたちは一人一人、自分のことについて神に申し述べることになるのです。

 

神を神として認め「主のために生きる」ようになった者は、もはや兄弟を裁くことはしなくなるのではないかと言われています。すべての者は神の裁きの座の前に立つことになるのですから、私たちの思いや行動は、神の前にすべてが覚えられていることを忘れてはなりません。

 

神の前に生きるということを、ラテン語で「コーラムデオ」と言います。神様はこの肉眼の目で見ることは出来ませんが、神によって信仰を与えられ、神を神として生きるようになった者は、自分が神の前に生きる存在であることを意識して暮らすようになるのです。私たちが何をするときにも、神の御心は何であるのかを訪ね求めつつ、自分の思いではなく神の御心を求めて、それに従って生きるようになるのです。

 

そのような人は、自分自身の罪や弱さをも自覚させられ、神の憐みによって生かされていることを知るようになりますから、他人に対しても謙遜にならざるを得ないのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちは生まれながらに自分を自分の主人としており、自分を超えた存在である神を神として生きることが難しくなっている傾向があります。けれども、実際に私たちを生かしてくださる神を神として生きることが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。