15:17 あなたは彼らを導き/嗣業の山に植えられる。主よ、それはあなたの住まいとして/自ら造られた所/主よ、御手によって建てられた聖所です。

15:18 主は代々限りなく統べ治められる。

15:19 ファラオの馬が、戦車、騎兵もろとも海に入ったとき、主は海の水を彼らの上に返された。しかし、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだ。

15:20 アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。

15:21 ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。

 

エジプトを脱出したイスラエルを、神は荒野へと導きました。さあ、これで救われたと思った人々は、その直後は喜びと感謝の声を表明するのですが、その下も乾かないうちに、今度は水がないことで不平を言い始めるようになりました。

 

神がイスラエルを荒野へと導かれたことについて、申命記8章には次のように言われています。「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。

 

人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。」(申命記8:2~5)

 

驚くべきことに神は、荒野において40年もの間、200万人もの人々を守り、支え、養ってくださったのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちの人生は罪のエジプトから救われたらそれで終わりということではありません。荒野の人生を通って約束の地を仰ぎながら、あなたの守りと支えと養いによって、さらにはみ言葉と祈り、聖霊の導きによって、あなたの御声に聴き従っていく人生です。この生涯の間、主に在ってこの人生を歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。