神は、この力をキリストに働かせて、キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置き、今の世ばかりでなく、来るべき世にも唱えられるあらゆる名の上に置かれました。エフェソ1:20~21

私たちは、この世界に生かされているときも、結局のところ神かサタンかいずれかの支配のもとにあるのです。創世記のアダムとエバの誘惑の出来事に記されているように、サタンは、私たちを誘惑し、罪と死に追いやろうとしますが、神は命を創造し、これを育んでいてくださいます。

イエス・キリストがこの世に来られるまでは、人類は罪と死の支配から逃れることのできないものでした。誰もこれを克服したり、これに打ち勝つことはできませんでした。この世でどのような人生を送ったとしても、最後にはその罪のために永遠の死を迎えなければならないものだったのです。

しかし、神はそのひとり子を人としてこの世に生まれさせ、キリストを死者の中から復活させてくださいました。キリストは、人類の代表者としてその生涯を歩み、十字架の死と復活を経験してくださいました。そして天に昇って行かれましたが、神はキリストを「天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に置」いてくださいました。

聖書には、悪魔はこの世の支配者であるともいわれていますが、悪魔は、神の許しの範囲内でしかその働きをすることはできません。ヨブ記にもこのことは教えられています。なぜ、神が悪魔の働きを許しておられるのかは、私も天国に行ったときに質問したいことなのですが、創世記から黙示録に至る聖書の歴史の全体は、神と悪魔との闘いの歴史であり、最終的に神が悪魔に勝利して、救いの民を解放し勝利をもたらしてくださる救いの歴史を示しています。

祈り

天の父なる神様、救いのみわざを実現し、人生の導きの書として私たちにみ言葉を与え、御霊によって導いてくださることを感謝いたします。道しるべであるみ言葉を覚えつつ、真理の柱に立ち続けることができますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。