5:8 だから、古いパン種や悪意と邪悪のパン種を用いないで、パン種の入っていない、純粋で真実のパンで過越祭を祝おうではありませんか。

 5:9 わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、

 5:10 その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。

 5:11 わたしが書いたのは、兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな、そのような人とは一緒に食事もするな、ということだったのです。

 

「わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、その意味は、この世のみだらな者とか強欲な者、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばならないでしょう。」このように言われています。

 

パウロは、コリントの教会に充てて、1コリント人への手紙の前にも手紙を書いていたようです。しかし、その時パウロが、「みだらな者と交際してはいけない」と書いたとき、コリントの教会の人たちは、この世に生きていてみだらな行いをしていたり偶像を拝んでいるような人と一切付き合ってはならないというように誤解していたようです。

 

今日の聖句は、この世に生きるキリスト者にとって、この世のみだらな者や人の物を奪う者、偶像を礼拝する者たちと一切付き合わないのは不可能であることを教えています。このことは、キリスト者数が人口の1パーセントに満たないと言われる日本に生きる私たちによく分かることです。

 

ここでパウロが言おうとしていることは、「兄弟と呼ばれる人で、みだらな者、強欲な者、偶像を礼拝する者、人を悪く言う者、酒におぼれる者、人の物を奪う者がいれば、つきあうな」ということでした。神の教会に導かれ、イエス・キリストを信じて生きるようになった人は、自らの罪を認め、その罪を悔い改めて生きることが求められているからです。

 

祈り

 

天の父なる神様、残念ながら人類が罪を犯し、神のもとを離れて堕落して以来、この世界の全体が罪と悪に染まってしまいました。そして私たち自身も罪を持ちながら生きているものです。あなたはそのような私たちを選び、あなた方はこの世の光、地の塩であると言われました。少しでもそれに近づくことが出来るようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。