11:31 わたしたちは、自分をわきまえていれば、裁かれはしません。

 11:32 裁かれるとすれば、それは、わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。

 11:33 わたしの兄弟たち、こういうわけですから、食事のために集まるときには、互いに待ち合わせなさい。

 11:34 空腹の人は、家で食事を済ませなさい。裁かれるために集まる、というようなことにならないために。その他のことについては、わたしがそちらに行ったときに決めましょう。

 

「自分をわきまえていれば、裁かれはしません。」とありますが、「自分をわきまえる人」というのは、自分自身が神によって創造され、神によって生かされている存在であること、自分自身の罪を認めて、神によって提供された救い主を、わが主、わが神として生きる人です。

 

しかし、そのような人でも過ちを犯してしまうことがありますから、神様は御霊によって過ちを犯すことがないように「わたしたちが世と共に罪に定められることがないようにするための、主の懲らしめなのです。」という手段を取られることもあるのです。

 

ともに食事をいただくような関係を古代の教会は持ち続けていたのですが、コリントの教会では、自由人である富める者と奴隷である貧しい者たちとの間に食事をいただくことで対立が生まれるようなことがありました。そこでこのような勧めをしているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたのみことばに聞き従い、自分をわきまえて生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。