今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。マタイ6:30~32

私たちが生かされているこの自然の世界は素晴らしいもので、いのちを育む共生の世界であることが分かります。この自然を生かすかたちでの工事ならよいのですが、例えば、軍事基地の建設、戦争、河口堰、砂防ダム、原発の建設、除草剤などの化学物質の散布などによって、今日多くの動植物が絶滅の危機に瀕しています。

それによって、大気汚染や、川や海などの汚染があり、人類もまた様々な病気にみまわれることもあります。おばあちゃんから聞いた話では、子供のころは街中でも用水路には至る所で蛍が飛ぶのを見ることが出来たといっておられました。わたしの子供のころには、田んぼでめだかや蛙、ザリガニやタニシなどを見かけることもありましたが、今では、意識して、「めだかが泳ぐ田んぼを再生しよう」と努力しているところを除いて、ほとんどの田ではそのような光景を見ることが出来ません。

今日の聖句には、「神はこのように装ってくださる」と言われています。野の花の調和と美しさというばかりではなく、神が野の花のいのちを与え、これを育んでおられるという意味合いも含まれています。いのちある花の美しさは、造花などとは比べ物になりません。

しかも、このいのちある世界は、草花一本も他のもののために生かされていることが分かります。人間の体を見てもそのことが分かります。眼だけあっても人は生きていくことができません。そしてこの体において不要なものは何一つないのです。

この世界のいのちは、不完全なものから完全なものに進化してきたのではなく、はじめから完全なものとして神によって創造されたのです。神は私たちをはじめからこのように装ってくださっているのです。クリスチャンの狩野和夫医師が書かれた「からだの中の探検旅行」という書物には、人体の驚くべき仕組み、その素晴らしさが描かれています。

祈り

天の父なる神様、あなたが装ってくださるこの世界は、それぞれのいのちは人間には到底生み出すことも装うことも出来ないものです。素晴らしく創造してくださったあなたの愛と知恵と御力をあがめます。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。