更に、信仰に基づいてあなたがたがいけにえを献げ、礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても、わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。同様に、あなたがたも喜びなさい。わたしと一緒に喜びなさい。エフェソ2:17~18

パウロはここでも、1章21節にあったのと同じように、福音を伝えたために自分が死刑になる可能性を考えているようです。彼は、「いけにえ」という表現によって、フィリピの人々が信仰のゆえに迫害の苦しみを耐え忍んでいることを表しています。

使徒の働きを見ても、ペテロたちは、ユダヤ人たちによって、福音を伝えたために牢に入れられ鞭で打たれたり、「今後キリストの福音を語ってはならない」と脅されますが、彼らは命を懸けてキリストの福音を宣べ伝えていったのでした。主イエスの弟子たちは皆殉教の死を遂げていったといわれています。

パウロも使徒たちと同じ思いを持っていました。この手紙を書いているときにも彼は牢の中につながれていながら、「私と一緒に喜んでください」と述べているのです。これはやせ我慢ではなく、真実に彼の心のうちは主に在る喜びにあふれていたのです。

祈り

天の父なる神様、主イエスの弟子たちやパウロの生涯を見る時、彼らは明らかに新しく創造された人たちであるように思われます。弱さも罪もありながらも聖霊によって導かれる者のひとりとして私たちをもお導きください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。