3:22 主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
3:23 主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
3:24 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
人が罪を持ったままでいつまでも生存し続けることを神は願っておられません。人生の意味はその長さよりも中身にあるからです。どれほど長い人生を生きても、それが苦しみや争いや憎しみがあり、不安や恐怖にさいなまれての人生であれば意味がないことになります。
エデンの園(楽園)と言われているところは、神の家につながっているところで、罪のないものだけが本来住むことのできるところでしたから、罪を犯した人間はそこから追い出されました。同じく堕落した天使も追い出されたに違いありません。
罪を犯した私たちはもはやその所在も分からず、そこに行くこともできませんが、イエス・キリストによってその罪を贖われた者は、やがてこの世の生を終えた後に、神の家である天の御国に迎えられることになります。
祈り
天の父なる神様、罪を持ったままで私たちはあなたの前に立つこともあなたのホームに向けられることもできませんが、救い主キリスト(第2のアダム)の人としてのご生涯によって、私たちがその罪を赦され、あなたとの豊かな交わりに入れられることを感謝いたします。
生涯あなたと共に歩み行くものとならせてください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。