24:28 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
24:29 二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
24:30 一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
24:31 すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
24:32 二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
24:33 そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、
24:34 本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。
24:35 二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
二人の弟子たちは、エルサレムからエマオに行く道中で復活されたイエス様に出会い、その話を聞きました。エマオの村に近づいた時、イエス様と共に家に入って食事をしました。
「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」と言われています。
私たちもこれと同じことがよくあるのかもしれません。イエス様はわたしの身近におられるのに気づいていなかったということもよくあるのではないでしょうか。
この二人は、すぐに自分たちがイエス様に出会ったことを伝えるためにエルサレムに戻るのですが、「二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。」のでした。
イエス様は、私たちの体を日々養ってくださるのみならず、私たちの心に希望を与え、活力を与えて、共に生きる喜びを満たしてくださるのです。
祈り
天の父なる神様、私たちの思いを超えて復活の命を与えてくださる恵みを感謝いたします。いのちを与えてくださる主を、我が主、我が神として私の心にお迎えすることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。