わたしの協力者テモテ、また同胞のルキオ、ヤソン、ソシパトロがあなたがたによろしくと言っています。この手紙を筆記したわたしテルティオが、キリストに結ばれている者として、あなたがたに挨拶いたします。わたしとこちらの教会全体が世話になっている家の主人ガイオが、よろしくとのことです。市の経理係エラストと兄弟のクアルトが、よろしくと言っています。(†底本に節が欠落 異本訳)わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。ローマ16:21~24

私の同労者テモテが、あなたがたによろしくと言っています。また私の同国人ルキオとヤソンとソシパテロがよろしくと言っています。この手紙を筆記した私、テルテオも、主にあってあなたがたにごあいさつ申し上げます。私と全教会との家主であるガイオも、あなたがたによろしくと言っています。市の収入役であるエラストと兄弟クワルトもよろしくと言っています。私たちの主イエス・キリストの恵みがあなたがたすべてとともにありますように。アーメン。(新改訳)

 

この手紙を終えるにあたって、パウロは、教会にある兄弟姉妹のお互いのことを紹介し、挨拶を送っています。彼らがどのような交わりをしていたのか、その在り様を詳細に知ることは出来ませんが、ここに紹介されているひとりひとりの人物は、神によって出会いが与えられ、お互いにイエス・キリストの救いの恵みを信じる信仰を与えられ、キリストの証人として生きるように導かれた人たちであることが分かります。

 

パウロは、ガイオという人の家で寝泊りしていたようです。24節は、「わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように。」と言われています。彼は、これとよく似た挨拶を自分の手紙の最後のところで書いています(コリント人への第一の手紙16章23節、コリント人への第二の手紙13章14節、ガラテヤ人への手紙6章18節、エペソ人への手紙6章23~24節、ピリピ人への手紙4章23節、テサロニケ人への第一の手紙5章28節、テサロニケ人への第二の手紙3章18節)。

 

「主イエス・キリストの恵みがともにあるように」という祈りは、「神がともにおられるように」という祈りと同じものだといってもよいでしょう。クリスチャンにとっての最も究極的な、最大の慰めは神がともにおられるということです。出エジプトの使命をモーセに与えられた神は、しり込みをしているモーセに、「わたしはあるという者だ」と言われ、「わたしはあなたとともにいる」と言われました。

 

契約に忠実な神は、その後もことあるごとに御自身の御業によってイスラエルの民の上に、この方は約束を必ず実現してくださる神であることを示してくださいました。イエス・キリストは、インマヌエル(神は私たちとともにおられる)のお方として人としてこの世に来られ、私たちが神とともに永遠に生きることができるように、その救いの御業を果たしてくださいましたし、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)と言われました。

 

「キリストの恵みがともにあるように」「キリストがともにいてくださるように」このパウロの祈りを、わたしへの祈りとして覚えつつ、主の御あとに聴き従う者でありたいと思います。

 

祈り

 

天の父なる神様、これを読んでくださっているお一人お一人に、キリストの恵みが豊かにありますように、主がともにおられますように、さらにあなたの恵みのうちに近づき、その心が喜びと感謝で溢れますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。