6:19 あなたがたの肉の弱さを考慮して、分かりやすく説明しているのです。かつて自分の五体を汚れと不法の奴隷として、不法の中に生きていたように、今これを義の奴隷として献げて、聖なる生活を送りなさい。
6:20 あなたがたは、罪の奴隷であったときは、義に対しては自由の身でした。
6:21 では、そのころ、どんな実りがありましたか。あなたがたが今では恥ずかしいと思うものです。それらの行き着くところは、死にほかならない。
神様から教えられなければ、私たちは、「罪の奴隷であり、それらの行き着くところは、死にほかならない。」などということは分からない者でした。
神を知らない者は罪が分からず、罪の結果についても分からない者でした。しらないままに、他の人と同じように過ごしてきた者ですが、聖書によって、聖霊の導きによって真理を知らされてきたことは幸いなことでした。
イエス・キリストは、「私が道であり、真理であり、生命」なるお方であり、この方によって、私たちは、体と魂の生命を与えられ、罪を赦され、神との関係を回復させられたのです。死から生命への道を拓いてくださったのはこのお方でした。
祈り
天の父なる神様、罪は、自分の罪を押し隠そうとする傾向がありますから、あなたから教えられなければ、私たちは自分自身の罪と向き合い、自覚することが難しい者です。他の人の罪を指摘する思いを持つことは出来ても、自分の罪に対しては正当化したり、なかったことにしようとするようなことがあります。けれども、神によって、ありのままの自分を示されるとともに、神による救いの恵みをいただくことが出来ました。この恵みのうちに歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。