同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。
7:5 互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。
コリント教会には、祈りに専念するために、相手を拒む夫婦がいたと思われます。そのような者の主張をパウロは認めつつも、それには互いの合意が必要であり、しばらくの間のことであり、また夫婦の関係を持つようになるのなら、よいでしょうと述べているのです。
なぜそうするのかという事について、「あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないとも限らないからです」と言われています。ここでの「サタンの誘惑」は「みだらな行い」へと結びついています。
祈りを理由に夫婦の交わりを断ち続けることによって、拒まれた夫を、あるいは拒まれた妻をサタンがみだらな行いへと誘う原因となるかも知れない。ですから、祈りに専心するために一時的に夫婦の交わりを断つことがあったとしても、それはあくまでも一時的なことであって、夫婦の交わりを大切にするようにと述べているのです。祈りに専念するために夫婦の交わりを断つ場合でも、それは夫婦で納得し合ったうえで、しばらく間でなければいけないと述べているのです。
祈り
天の父なる神様、あなたによって結び合わされた夫婦の関係を大切に覚えていくことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。