22:31 死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。
22:32 『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」
22:33 群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。
イエス様は、「死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。」と言われましたが、旧約聖書において復活について記されている言葉は、例えば、イザヤ書26章19節には、「あなたの死者が命を得/わたしのしかばねが立ち上がりますように。塵の中に住まう者よ、目を覚ませ、喜び歌え。あなたの送られる露は光の露。あなたは死霊の地にそれを降らせられます。」と言われています。
また、ダニエル書12章2節には、「多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り/ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。」と言われています。
このように、聖書には死者の復活についてはっきりと教えている個所があるのですが、これらはいずれも預言書です。サドカイ派の人々はモーセ5書のみを神の言葉として認めていました。それで、イエス様は、出エジプト記3章6節に記されている、モーセに語られた主の御言葉から死者の復活について教えられるのです。
出エジプト記3章4節以下には次のように記されています。
「主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。「ここに近づいてはならない。足から履き物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。」(出エジプト記3章4~6節)
イエス様は、モーセに語られた神様の御言葉、「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」という御言葉から、死者の復活について教えられたのです。イエス様は、「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」という聖書の御言葉を引用された後で、「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ」と言われました。
ここでイエス様は何を教えようとしておられるのでしょうか?それは、アブラハムもイサクもヤコブも神様との関係において生きているということです。アブラハムも、イサクも、ヤコブも神様との関係において生きているということを教えておられるのです。
神が死んだ者の神ではなく、生きている者の神であるなら、アブラハムも、イサクも、ヤコブも神様との関係において生かされているのです。アブラハムも、イサクも、ヤコブも肉体は死んで墓に葬られたのですが、霊においては神様の御前に生きているのです。
復活はないというサドカイ派の人々に対して、イエス様は、「あなたたちは聖書も神の力も知らない」と言われました。復活はないということは、神様は死に対して無力であるということです。しかし、神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神であるならば、生きている間に神との契約関係に入った者は永遠に死ぬことはなく、必ず復活させられるのです。
そして、その保証として、神様はイエス・キリストを死から三日目に栄光の体で復活させられたのです。それによって、神様は、イエス・キリストを信じる御自分の民が必ず復活することを示されたのです。人は誰でも、イエス・キリストを神の御子、救い主と信じることにより、キリストの故にその罪を贖われて、復活の命に生きる者とされているのです。
祈り
天の父なる神様、これから実現されるイエス様の十字架の苦しみと復活によって私たちの罪を贖い、キリストを初穂として、私たちもまた肉体の死の後に、復活することが出来ることは大きな恵みです。そのような恵みをもたらしてくださることを心より感謝いたします。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。