罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。ローマ人への手紙 6章23節
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、 私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
この世界には様々な問題があります。戦争や殺人、差別や貧困、貪欲や妬み、憎しみや悪口、盗みや嘘、きりがないほどにいろいろな問題がありますが、それは決して他人事ではないことも事実です。
「私は殺人はしていない」という人に対しても、主イエスは、「「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」(マタイ5:21~22)
このように、私たちの基準で判断するのではなく、神の基準で見るならば「兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」ということであり、誰かに腹を立てたり、「馬鹿者」と心の中で考えるならば、すでに人殺しをしているのと同じことだと言われるのです。
聖なる神様は、このように人々の心をご覧になり、私たちの心の中で考えることもすべてご存知です。そのような基準に当てはめて、私たちが自分自身の言動を、心の中の思いを見つめていくときに、私は何の罪もないなどという人がいるでしょうか。
聖書は、「「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、/神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」(ローマ3:10~12)と言われています。

こうした罪の現実と、真実に向き合うならば、罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、 私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。というこのみ言葉こそ、私たちの希望であることがわかります。
祈り
天の父なる神様、人と人とを比べているだけでは罪は分かりません。聖なるあなたの前に、自分がどういう者であり何をしてきたのかを振り返って教えられるとき、罪の深さを痛感させられます。主イエスの恵みを無駄にすることがありませんように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。