信仰によって義とされる恵み 公開日:2018年6月8日 ローマ書 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。だからまた、それが彼の義と認められたわけです。しかし、 […] 続きを読む
望みを抱いて信じる 公開日:2018年6月8日 ローマ書 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。彼は希望するすべもなかったときに、な […] 続きを読む
信仰の父、アブラハム 公開日:2018年6月8日 ローマ書 神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止された […] 続きを読む
割礼によるのでなく信仰によって 公開日:2018年6月8日 ローマ書 では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてから […] 続きを読む
罪を赦してくださる神 公開日:2018年6月8日 ローマ書 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。同じようにダビデも、行いによらずに神から義と […] 続きを読む
信仰によって義と認められる 公開日:2018年6月8日 ローマ書 では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それ […] 続きを読む
信仰のゆえに義としてくださる 公開日:2018年6月8日 ローマ書 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると […] 続きを読む
ただ一つの救い 公開日:2018年6月8日 ローマ書 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分 […] 続きを読む
神の恵みによって 公開日:2018年6月8日 ローマ書 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。ローマ3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(新改訳) この節に […] 続きを読む
主イエスの贖いのゆえに 公開日:2018年6月8日 ローマ書 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。ローマ3:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。(新改訳) 24節は […] 続きを読む