永遠の昔、わたしは祝別されていた。太初、大地に先立って。

わたしは生み出されていた/深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき。

山々の基も据えられてはおらず、丘もなかったが/わたしは生み出されていた。

大地も野も、地上の最初の塵も/まだ造られていなかった。箴言8:23~26

 

主イエスの誕生を覚えて祝うクリスマスを迎えようとしていますが、永遠の昔からおられたお方が、人となって私たちのうちにきてくださった。これは驚くべきことです。主イエス以外にはこのような人は一人もいません。

 

今、日本の天皇についていろいろな資料などを読みながら考えることがありますが、明治維新以降、神のように称えられるべき方と言われてきた天皇ですが、その実際の暮らしぶりや言動を見るとき、私たち人間となんらかわりのないことを思わされます。

 

人間宣言をしたから人間になったというわけではなく、権力を持つ人々に利用されたり、自らも権力をもって人々を支配してきた歴史もありますが、どれほど権力を持っている人でも、やがてはその罪のゆえに死を迎えます。

 

しかし、ただ一人、何の罪もない神の御子が、私たちの罪を贖うために、罪人の一人となってくださいました。ヨハネの福音書の初めには、この方について「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。・・・言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1:1~3,14)と言われています。

 

祈り

 

天の父なる神様、あなただけが神であり他にはいないことを教えられながら、他の様々なものにより頼んだり、自分を神の座において物事を考えたり行動したりしてしまう者です。しかし、まことの真理に生きる者とならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。