19:8 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
19:9 イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。
19:10 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
今日の聖句には、自分の罪を悔い改めて神に従っていこうとしたザアカイの信仰の表明がなされているところです。彼はここで、単にイエス様を信じますというばかりではなく、自分がこれまでだまし取ってきたお金の償いとして次のように語りました。
「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
ここでザアカイが、まず、「主よ、」とイエス様に呼び掛けていることに注目したいと思います。私たちは誰かに向かって、「主よ」などということはまずないと思います。それはユダヤ人の社会においても同じです。
一神教の神を崇拝するユダヤ人の社会において「主」という言葉は、人間に対して用いることはまずありません。「主」という言葉を用いるのは、人間を超えた存在、崇拝すべき唯一の神に対する呼び名だからです。
イエス様との出会いの中で、ザアカイは、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」と告白しました。彼はこの宣言通りにこの後償いをするとともに、神が喜ばれる働きをしていくようにその人生も変えられていったに違いないと思います。
祈り
天の父なる神様、あなたは私たちを日々育んで下さるのみならず、ザアカイのように、神を信じて生きる者へと私たちを導いてくださいます。主に在って歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。