だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、/あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。ローマ15:7~9

こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。私は言います。キリストは、神の真理を現わすために、割礼のある者のしもべとなられました。それは先祖たちに与えられた約束を保証するためであり、また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」(新改訳)

 

作日、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は板門店の韓国側施設「平和の家」で開かれる南北首脳会談のため韓国側に入り、出迎えた文在寅大統領と対面し、南北朝鮮の平和と統一に関しても話し合われたと思われます。これは、朝鮮戦争(1950年6月25日勃発~1953年7月27日休戦)が、勃発から68年、休戦から65年を経て、やっと終戦となる契機となるかも分かりません。そうであれば画期的な会談となります。朝鮮戦争休戦協定を「最終的な平和解決」(平和条約)に切り替えるには、5月末~6月初めに行われるトランプ大統領と金正恩党委員長との米朝首脳会談を待たなければなりません。民族が分断された状態が平和に解決に向かうことを願います。

 

朝鮮半島のみならず、人類は、これまで度重なる戦争や争いを繰り返してきました。ここには、「神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」と言われています。「相手を受け入れる」というのは、ユダヤ人にとっては異邦人を受け入れることであり、自由人にとっては奴隷を受け入れることであり、様々な民族がお互いに他の民族を受け入れることであり、自分とは異なる思想や信条、宗教を持つ人たちをも受け入れるということでしょう。

 

主イエスが、「互いに愛し合う」ように語られたのは、ファリサイ人たちが考えていたようなあり方ではなく、様々な違いや境遇の違いを超えて愛し合うことに他なりません。異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、/あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。とあるのは、第二サムエル記22章50節と詩篇18篇49節の箇所のことだと思われます。両方の詩は同じものであり、ダビデがサウルと敵から救い出されたときの神への賛美を繰り返しているものです。

 

どの民族も心を一つにして神をほめたたえるようになる日がやがてくるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、ユダヤ人と異邦人の間には、長くて深い溝があるという状態にありましたが、あなたがアブラハムに約束してくださった契約は、アブラハムの子孫から出る者によって、人類のあらゆる人たちが祝福を受けるようになるということでした。ユダヤ人たちは、与えられたみ言葉、神の救いの恵みを異邦人たちにも伝えていくことが求められていましたが、彼らはそれをしないばかりか、異邦人たちを差別する有様でした。そのような状態の中に主イエスは来て下さり、ユダヤ人も異邦人も、信仰によって同じ救いに与ることができるように道を拓いてくださいました。

律法を成就するために来てくださった主の恵みを覚えて、あなたの御後に従う者とならせてください。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。