あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。ローマ1:11~13

私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。(新改訳)

「世界の都ローマ」という言葉があるように、ローマは、パウロが子の手紙を書いた頃にも、世界の中心と言えるような大きな都でした。異邦人に福音を伝えるようにという使命を与えられたパウロは、是非、ローマを訪ねたいと願っていたようです。

 

パウロが子の手紙を書く頃には、すでに各地で福音を聞いた人たちがローマにもうつり住むようになり、ローマにも教会が立てられていたようです。この頃、彼は牢獄に入れられていて、自分の死期が近づいていることも分かっていましたから、ローマの教会のみならず、フィリピ、テサロニケ、エフェソの教会にも、そしてテモテに対しても、是非会って、喜びを分かち合いたいという言葉を書き送っています。

 

「あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。」とありますが、これは単にあって励まし合いたいというだけのことではありません。

 

今日、新約聖書としてパウロの書簡も含まれていますが、当時の教会は、そのベースに旧約聖書をもっていました。そして、パウロがローマの教会に手紙を送れば、旧約聖書とパウロの手紙がローマの教会での聖書となり、それを教会員が真剣に書写して他の教会に送るというやり方で新約聖書は少しずつすべての教会に行き渡っていったのです。使徒たちの書いたもの、福音書やパウロの書簡などが、各地の教会に伝えられて、多くの人々にイエス・キリストへの信仰と希望と喜びを伝える力となっていきました。

 

新約聖書のすべては一世紀の終わりまでに書き終えられて確実にその写本はすべての教会に送られました。27巻からなる新約聖書は1世紀の終わり には書かれていたのですが、新約聖書の正典性が確定されたのは、397年のカルタゴ会議という教会会議において公的に決議されました。

 

二世紀中頃には普通の教会ならだいたい完成された旧新約聖書を持つようになり、ほとんどの教会に聖書は行き渡ったようです。

 

参考までに、FF.ブルースによる、新約聖書の成立年代をご紹介しておきます。

著作年代・・・・F.F.ブルース「新約聖書は信頼できるか」による

マタイ福音書・・・・・・85~90年頃

マルコ福音書・・・・・・65年頃

ルカ福音書・・・・・・・80~85年頃

ヨハネ福音書・・・・・・90~100年頃

使徒言行録・・・・・・・・85年頃

ガラテヤ・・・・・・・・48年頃

テサロニケ・・・・・・・50年頃

フィリピ・・・・・・・・・54年頃

コリント・・・・・・・・54~56年頃

ローマ・・・・・・・・・57年頃

コロサイ・ピレモン・エフェソ・・・60年頃

牧会書簡・・・・・・・・63~64年頃

ヨハネの黙示録・・・・・・・・・(1世紀末)

 

祈り

 

天の父なる神様、あなたは、かって預言者や使徒たちにみことばを与えてくださったばかりでなく、その後の時代に生きる私たちにもあなたの福音を聞いて信じることが出来るように、聖書をお与えくださり、御霊をお与えくださることを感謝いたします。

特別に使徒として召されたパウロの書いた書簡を通して、今日も多くの方々が希望と喜びを与えられ、救いの恵みに与っていることを覚えて感謝いたします。

今年も、多くの人々が、イエス・キリストの誕生の意味を覚えつつ、クリスマスを迎えることが出来ますように祈ります。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。