ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、/愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。『あなたたちは、わたしの民ではない』/と言われたその場所で、/彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」また、イザヤはイスラエルについて、叫んでいます。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。」それはまた、イザヤがあらかじめこう告げていたとおりです。「万軍の主がわたしたちに子孫を残されなかったら、/わたしたちはソドムのようになり、/ゴモラのようにされたであろう。」ローマ9:25~29
それは、ホセアの書でも言っておられるとおりです。「わたしは、わが民でない者をわが民と呼び、愛さなかった者を愛する者と呼ぶ。『あなたがたは、わたしの民ではない。』と、わたしが言ったその場所で、彼らは、生ける神の子どもと呼ばれる。」また、イスラエルについては、イザヤがこう叫んでいます。「たといイスラエルの子どもたちの数は、海ベの砂のようであっても、救われるのは、残された者である。主は、みことばを完全に、しかも敏速に、地上に成し遂げられる。」また、イザヤがこう預言したとおりです。「もし万軍の主が、私たちに子孫を残されなかったら、私たちはソドムのようになり、ゴモラと同じものとされたであろう。(新改訳)
旧約の時代には、基本的には神の民といえばユダヤ人たちを指し示していました。しかし、神の御心は、世界中の人々にこの福音の恵みが告げられ、世界中の人々が神の民として生きるようになることでした。イエス・キリストは、マタイ24:14では「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」と言われ、天にあげられる前には「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)と言われました。
異邦人である私たちにも福音が伝えられ、聖書が与えられ、御霊が与えられ、信仰によって生きる人たちがたくさん起こされてきたのです。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。」とありますが、これはかって神はアブラハムに、「あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。」(創世記22:17)と言われ、この約束の通りに彼の子孫を増やしてくださいました。
ユダヤ人たちは、神が与えた祝福の約束は血筋によるユダヤ人、ユダヤ民族に限ることだと考えましたが、使徒言行録15章では、使徒たちが会議を開いて、神の救いは、信仰により異邦人にも分け隔てなく与えられることを確認したことが記されています。
「議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。」(使徒15:7~9)
また、ローマ書4章16節には、「信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。」と言われています。
「残りの者が救われる」とありますが、神の契約を破棄した不義なる神の民に、神の審判が臨みますが、その民の中から「残りの者」が、あたかも切り株から生命が芽生えるように、少数の真のイスラエルが生まれてきます (イザヤ6章13節)。この「切り株」こそ「残りの者」です。
「その日には、イスラエルの残りの者とヤコブの家の逃れた者とは、再び自分たちを撃った敵に頼ることなく、イスラエルの聖なる方、主に真実をもって頼る。残りの者が帰って来る。ヤコブの残りの者が、力ある神に。あなたの民イスラエルが海の砂のようであっても、そのうちの残りの者だけが帰って来る。」(イザヤ10:20~22)
祈り
天の父なる神様、異邦人である私たちにも信仰を与えてくださり、御霊を与えてくださって、あなたのお恵みのうちに歩ませてくださることを感謝いたします。あなたの福音があまねく世界中の多くの人々に伝えられ、あなたの救いに預かる人たちが起こされますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。