16:25 自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
なぜ、イエス様は弟子たちに、「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われるのでしょうか?それは、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」からです。
自分の命を救いたいという思いは、だれもが持っているのではないでしょうか。誰もが自分の命を救いたい、充実した人生を送りたいと思って、それぞれに人生設計を立て、健康に気をつけて生きているのです。けれども、それでは命を失ってしまうとイエス様は言われるのです。
「そうではなくて、わたしのために命を失う者こそ、命を得るのだ」とイエス様は言われるのです。このイエス様の御言葉は、一見矛盾しているようにも思えますが、それはここで言われている命が、地上の命と永遠の命の二つの意味を持っているからです。
すなわち、イエス様は、「自分の地上の命を救いたいと思う者は、永遠の命を失うが、わたしのために地上の命を失う者は、永遠の命を得る」と言われているのです。イエス様はやがて最高法院によって多くの苦しみを受け、殺されますが、三日目に復活させられることになっている、と弟子たちに打ち明け始められたのです。十字架の後には復活があるのです。
それゆえ、自分を捨て、自分の十字架を背負って、イエス様に従うことこそ、永遠の命に至る道なのです。イエス様のために命を失うこと、イエス様のために地上の命を用いることが、永遠の命を得る道なのです。この命こそ、何にも代えがたい宝です。
祈り
イエス様は、私たちを救うために十字架におかかりになりましたが、私たちも実際に十字架にかかることはなくても、自分の十字架をとって主に従うことを教えてくださいました。実際にキリストに従うことは様々な困難がありますが、それを乗り越えて主に従うことが出来ますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。