5:6 若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。

 5:7 それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。

 5:8 ペトロは彼女に話しかけた。「あなたたちは、あの土地をこれこれの値段で売ったのか。言いなさい。」彼女は、「はい、その値段です」と言った。

 5:9 ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう入り口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」

 5:10 すると、彼女はたちまちペトロの足もとに倒れ、息が絶えた。青年たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、運び出し、夫のそばに葬った。

 5:11 教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。

 

アナニアとサフィラは、夫婦で示し合わせて土地の代金をごまかし、神を欺く罪を犯しました。そのために、アナニアの死とともにあとからやってきたサフィラも、同じ罪を犯したことが判明した時点でその場に倒れて即死でした。

 

これを見た人々は大いに恐れたと言われています。アナニアとサフィラがしたことは、単にケチであったとか、嘘をついたというようなことだけではありません。これは口先だけのことではなく、心が神から離れ、主イエスの十字架と復活の恵みを忘れたところから起こったことです。

 

この聖書箇所は、まさにわたしたちが神の恵みを真剣に受け止め、自分の罪を悔い改めて、神のもとに立ち返るために、与えられているのではないでしょうか。教会は始まって間もないうちに、生きておられる神の前で、神と共に生きることを教えられたのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、イザヤ書3章には、「主に従う人は幸い、と。彼らは自分の行いの実を食べることができる。(10節)」、「主に逆らう悪人は災いだ。彼らはその手の業に応じて報いを受ける。(11節)」と言われています。神様は私たちの考えたこと、行ったことのすべてを知っておられて、その行いに応じて報いをお与えになるということを今日のみ言葉は教えています。このことを踏まえつつ、主の御心のうちに生きる者でありたいと思います。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。