12:8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。

 

アブラムは、神の言葉に従って出かけていきましたが、神の示す地がどこなのか、はっきりと分かりませんでした。そこで、「ベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。」と言われています。

 

ベテルは、「神の家」、アイは「滅亡」を意味する言葉です。クリスチャンの生活は、このベテルとアイの間で営まれる神への服従の生活であると言えます。ダビデは詩編23編で「命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。」(詩編23:6)と語りました。この姿勢はアブラハムにもダビデにも共通するものでした。

 

彼のこの世の生涯は、様々な困難があり、絶望と思われるような状況に陥ることもしばしばでしたが、神の家に住む(永遠の命)という希望を持ちながら、主の前に祭壇を築き、祈りつつその日々を歩み続けました。主なる神は、一度にその御心を表されるのではなく、私たちの信仰生活において一つの山を超えると新しい課題が与えられ、その道が示されていくように、その時に応じて、私たちにその御心を示してくださるのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、この世の人生はうれしいことも悲しいことも様々なことがありますが、アブラハムやダビデが、やがてあなたの家で永遠に住むことが出来ることを夢見ながら歩み続けたように、この希望をもって歩み続けることが出来ますように。

イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。