わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。1テサロニケ4:2~5
「神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。」といわれています。私たちが聖なる者となるということは神の願いであるとともに、神に召された、あるいは選ばれたことの結果でもあります。
神を知らず、自分中心の生活をしてきたものが、神を神として生きるようになることは、神の恵みによってなされることです。
パウロは、罪によって神のもとを離れてしまった私たちが、再び神の前に立つことが出来るようになるためには、私たちが「聖なる者」にならなければならないことを教えています。
これは人にはできないことですが、神は私たちを愛するがゆえに、そのひとり子を与えるほどにして、御子によって私たちの罪を赦し、私たちを清く傷のないものにしようとなさったのです。
祈り
天の父なる神様、あなたの前に聖なる者となることは、私たちには不可能なことです。しかし、あなたは、あなたご自身の御業によって、御子と御霊の働きによって不可能を可能にしてくださり、私たちに希望と将来を与えてくださいました。この恵みのうちを歩み続けることが出来ますように。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。