そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。ローマ人への手紙 5章3、4節
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

初代教会のクリスチャンたちは、激しい迫害を経験いたしましたが、そうした苦難や艱難を誇りとし、喜びとしていると言われています。苦難や艱難を喜びとするという思いは普通には生まれてくるものではありません。

それはむしろ喜びとは逆のものといえます。ユダヤ人からの迫害であれ、ローマ帝国の権力者たちからの迫害であれ、それは死を覚悟しなければならないほどの苦痛を伴う迫害でした。しかし、使徒の働きを見るとき、彼らは迫害を受けたことを喜んだことが記されています。

「使徒たちを呼び入れて鞭で打ち、イエスの名によって話してはならないと命じたうえ、釈放した。それで使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたことを喜び、最高法院から出て行き、毎日、神殿の境内や家々で絶えず教え、メシア・イエスについて福音を告げ知らせていた。」(使徒5:40~42)

「これ以上イエス・キリストの福音を宣べ伝えてはならない」と言われて、鞭で打たれたり投獄されたりしたのですが、彼らはそれにひるむことなく、むしろ喜んでさらに福音を伝えていったのです。

使徒の働きには、「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。」(使徒13:52)ともいわれています。つまり、聖霊によって新しくされた人たちがここにいるということです。主イエスへの信仰を与えられ、救われた私たちは、信仰によって、喜びとともに、忍耐、練達、希望を与えられていくのです。

祈り

天の父なる神様、私たちが生きるために必要なあらゆるものを与えてくださり、ありがとうございます。私たちにとって真実に必要なものをご存知であるあなたは、ひとり子を遣わし、私たちの罪を贖い、聖霊によって、新しい人生を生きる者としてくださいました。
あなたのいのちに生きる者として生涯の終わりまでお導きください。
イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。