1:6 わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。

 1:7 あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。

 

ここでは、イエス・キリストにある「苦難」と「慰め」について記されています。パウロ自身、様々な苦難を経験しました。生命の危機にあるような苦難無少なくなかったのですが、私たちもこの人生において苦難を経験することがあると思います。

 

そして、私たちが苦難を経験したからこそ、苦難を経験している人の苦しみや思いを多少なりとも理解していくことが出来るに違いありません。病になったからこそ病の中にある人の気持ちが分かるのです。

 

ヘブライ4章15節には、「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」と言われています。

 

イエス・キリストこそ、苦しみを受けて私たちに慰めを与えて下さるお方です。自分は苦しみを受けることなく、苦しみに遭う人々に真の慰めや希望を与えることは出来ないのです

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちは、苦難を経験したくないと思うものですが、苦難を経験することによって、はじめて真実に目を開かれていくことがあります。苦難によって、自分自身やそのあり方を知るようになったり、苦難によって神を求めるようになりました。そして苦難を経験したからこそ人の痛みを知ることが出来るようにされました。真理に向かい、真実の愛に生きることが出来ますように。

イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。