彼らののどは開いた墓のようであり、/彼らは舌で人を欺き、/その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち、ローマ3:13~14

「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」 「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」(新改訳)

 

日本のことわざには、「口は災いの元」というものがあります。これは不用意な発言は、自分自身に災いをもたらす結果になるから言葉を慎むようにと諌める言葉ですが、私たちは口から出る言葉によって人を傷つけてしまうことがよくあるのではないかと思わされます。

 

この節では、舌による罪について記されています。「彼らののどは開いた墓のようで」あると言われていますが、墓は死を意味するものです。「欺き」は偽りを表し、「まむし」は蛇を表すものです。これは、創世記3章に記されている人間が罪を犯し堕落してしまった姿を思い起こさせるものです。

 

歴史の中におけるサタンとキリストとの戦いは創世記3章のところから始まりますが、すべてが言葉による戦いであるともいえます。人は言葉によって慰められるとともに、言葉によって傷つくものでもあります。どのようなことばを語るかが問われますが、マタイの福音書15章には、「口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。 悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。」(マタイ15:18~19)と言われています。

 

悪い言葉が出てくるのは、心そのものが罪の中にあるからだというのです。罪の心そのものが変えられていく必要があるのです。ヨハネによる福音書の始めには「言」であるキリストについての言及がありますが、この言葉には命があり、人間を照らす光があります。この言葉が肉となって、私たちの間に宿られたという主イエスの誕生こそ、根本的に私たちのあり方を新しくしてくださる神からの光なのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、今日もあなたのみことばを聞き、祈るひとときをお与えくださりありがとうございます。言葉の大切さ、それを語る心が聖められテイク必要を感じます。

私たちにいのちを与え光を与えてくださるあなたのみことばを聞きながら、あなたをわがうちにお迎えし、あなたのみ言葉によって生きる者とならせてください。イエス・キリストの御名前によって祈ります。アーメン。