4:9 では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。

 4:10 どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。

 4:11 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。

 

アブラハムは、割礼を受ける前に義と認められたと言われています。割礼を受けることは、その人が神の民であるという目に見えるしるしでした。そのためにユダヤ人たちは、割礼を受けていることや、自分の家系がアブラハムの子孫なのかということを非常に重要視したのでした。

 

神様は、アブラハムを祝福し、アブラハムの子孫によって世界中の人々が祝福を受けることを教えてくださいました。ここでアブラハムの子孫と言われている言葉は一人称で、イエス・キリストのことを指しているということが出来ます。

 

今日の聖句にあるように、人は割礼の有無に関わらず信仰によって義と認められるのです。「こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。」と言われているとおりです。

 

イエス・キリストは、私たちが罪を赦されて救われるために必要なあらゆることをしてくださいましたので、私たちはこの方を私の救い主として信じて受け入れることが求められているのです。

 

祈り

 

天の父なる神様、私たちには想像もできない大きな恵みを与えてくださっていることを心より感謝いたします。あなたの恵みのうちに歩み続けることが出来ますようにお導きください。

イエス・キリストの御名によって祈ります。